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雑草のような雑念と雑考

下書き 群知性で生き残る現生人類

 ネアンデルタール人ホモ・サピエンスには直接の競合関係は、つまり、食物の取り合いや暴力的闘争はなかったという。にもかかわらずホモ・サピエンスが生き残り、ネアンデルタール人は滅んだ。
 この差は何か?
石器の進化の違いから、ある仮説が浮上している。ホモ・サピエンスのほうが経験を伝達する能力が高かったのではないか。そういう仮説だ。
 脳の大きさはネアンデルタール人がやや大きい。寒冷地適応も上だった。しかしながら、種の個体間でのコミュニケーション能力が劣っていた可能性がある。口蓋の比較解剖学ではホモ・サピエンスは彼らより複雑な発声ができていたらしいという。
 さて、そうなると今日のネットの興隆はすでに現生人類の特性であったと言えなくもない。相互の意思伝達が能力を高める。あるいはその相互作用を通じて、グループが全体的な生存能力を向上させようとする衝動が、もともと備わっている、ホモ・サピエンスという種の特性なのだろう。
 言い換えると定向進化の行き着く果てにcrowdコンピューティングがあり、そこで個体知性は重ね合わせられより強力な群知性に変様する。そのためにクラウドという情報基盤がある。
 群知性とはネット上でのクラウド=集団の知性である。そこに収束されつつあるのが21世紀なのだろうか。

 もう一つ、ホモ・サピエンスの群知性への傾向はウィトゲンシュタイン言語哲学の問いが関係する。ことばや言説は個体の内部に独立して刷り込まれているわけではなさそうなのだ。他人の使用法をみてそれを体得するしかない。「言語ゲーム」と「文法」がホモ・サピエンスの習い性である可能性がある。