戦後までの小説を読むとたいがいの女性は「オホホホ」と笑うようだ。
女ことばが消えてから久しいが、笑い方も一変するのであろうか?
小説から女性の笑いの擬音を取り出してみよう。
小野佐世男『エキゾチックな港街』
佐世保へいらっしゃるんですって、佐世男が佐世保にいくなんて、なんかおかしいですね――、オホホホホ。あなたさまは日本人でしょう、オホホそれならお行きにならない方がお幸せですわ。……雲仙の旅館の女中は手を振った……。日本人は相手にされませんよ、靴をみがこうとなさっても駄目駄目。
夢野久作『一足お先に』
これは戦前の小説だな。
「一体幾歳(いくつ)なんだえその人は……」
「オホホホホホ。もう四十四五でしょうよ。だけどウッカリすると二十代ぐらいに見えそうよ。指の先までお化粧をしているから……」
三好十郎『地熱』
辰造 だつて、近藤は此の家の後援者だろ? 何とか言つたつけなあ、さうだパトロンだろ、あんたの?
磯 オホホホ。まあね、近藤さんからは、金は借りてゐますよ。(平気を装つてはゐるが少し顔色が変つてゐる)
宮本百合子『獄中への手紙 一九四四年(昭和十九年)』
小包作り終り、やっとやっと、という気もちで此をかきはじめた次第です。書くこと、読むこと、あれこれのこと、わたしはどうしてもつい、あれこれ時間が惜しくて閉口の時があります。だもんだから、何となし仙人くさい状態になってしまって、それを世帯もちの眼から見ると、アラ、でも仕方がございませんわ、外になさることがおありなんですものホヽヽヽヽということになるのね。それでもまだまだわたしには比例がとれません、オホホホ式であってなお此だけ時間がかかるなんて、ね。
甲州で別れて以来のムクは、お松の傍へ来て、身体をこすりつけて、尾を振って、勇み喜ぶのであります。
「お前さん、この犬を知っておいでか、オホホホ」
この時代は大きな口をあけて笑うというのがほとんど無かったのだろう。手で口を隠す仕草をしながら笑うと「オホホホ」になるのかもしれない。
だが、文字通りにこのような笑い方をする女の子はどこにも居なくなったようだ。ともするとこんな笑い方は不可能、もしくは作り笑いでなかったかとも思えてくる。
どうだろうか?
というより、小説家側の思い込みだった可能性が高い。そういう型で女性の笑いを描く作法であり、それ以外の「ハハハ」などと描こうとなどいうのは考えてもみなかったのだろう。