ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

欧米流の環境保護運動の背後霊

 地球温暖化や資源の乱獲、生物多様性や種の保護には異議はない。異議がないが、なんとなく判然としないもの、不条理なもの、違和感を感じている。
 へそ曲がりの世迷いごとと思って読んでいただこう。

例えば、アメリカ人の探検家が各国の青少年を募って南極大陸の体験旅行をさせるという番組があった。見上げたものだ。私には真似できん。だが、同時に一抹の不安もある。
わざわざ船に乗り温暖化が急の南極洋に熱をバラマキにゆく。そんなツアーを科学的とか教育的とかいっているが、それが自然破壊の根っこなのではないか?
国家や企業が開発を進めるだけが悪ではない。もっと根源的な原因があるはずなのだ。
 探検家の歴史をひもとけば、ほとんどが文化破壊と環境汚染の先駆けになったのが多い。コロンブス、マゼラン、コルテスなどは世界に与えた影響はマイナスだと思う。スタンレーやリビングストンもアフリカを植民地化する斥候だったと感じる。
 南極を知ること自体も自然破壊である。教育的だと称して続々と南極温暖化ツアーが人気になったらどうなるかを考えれば、それは自明ではいか。過剰な観測は観測対象を破壊する。日本の国鳥トキが死滅した一因は過剰な取材合戦にあったように。

 何でも見てやろう、前人未到の地を征服し、足場と記録をのこして新しい道を切り開いてやろうとするその意志そのものが、自然破壊のイデオロギーと一心同体ではないか?
 そうまで言わずとも同根だと思うのだ。ここまでくると。観測は無人をベースにすべきなのだ。