言挙げせぬ国で粗暴な蛮声を周辺住民に浴びせかける、そのあざとさは目に余るものがある。後先考えず感情をむき出しにする結果は、どれも惨めなものだということを知らぬのであろう。
自分は、いつも短絡行為の例として、1936年2.26事件で撃ち殺された高橋是清を偲ぶ。
青年将校たちは、なるほど純情にかられての行動であったのだろうが、その対象がどんな人物かをよく知っておくべきだった。
時の蔵相として、高橋是清はなるほど、軍事予算の削減を行った。それとても経済的安定を回復しようとしただけのこと。
それ以上に、高橋是清は日露戦争勝利の影の立役者であったことを、この純情反抗期の青年将校たちは知らなかったに違いない。
高橋是清がイギリスで悪戦苦闘して、公債募集を行い、戦費調達が出来たのだ。金がなかったら、石炭も砲弾もない連合艦隊は対馬沖海戦ができたのだろうか。軍馬も砲弾もない帝国陸軍は203高地を奪還できただろうか?
それを知らずして、偉大なる恩人を非愛国的であるとして勝手に処断したのだ。
まことに愚かなことである。
感情にかられた直情派の悲劇だ。
嫌韓するのは勝手であるが、人に迷惑をかけるな。己の歴史を知れば、そんな直情的行為は雲散霧消する。