東大独文科は幻想や民話といったこの世ならざるものに惹かれる人々を輩出してきた。
その始まりは、高木敏雄だろうか。高木敏雄は40代なかばで亡くなった日本での神話や民話研究の先達の一人だ。柳田国男と郷土研究なる研究誌を出していたこともある。
内田百閒も夏目漱石の弟子として始まったが、『冥土』のような幻妖な短編をいくつも残している。
昭和に至れば種村季弘の怪奇・グロテスク趣味は有名であろう。令和になっても彼のラビリンスにはまった人々はウヨウヨしている。
あまり目立ちはしないが確かな足跡を文芸批評に残したのは、川村二郎だった。
『白山の水』は泉鏡花の陽炎のような文学世界の痕跡を求めて各地をさまよう。そのさまよい歩くさまは『日本廻国記 一宮巡歴』に始まり『河内幻視行』にも引き継がれた。『語り物の宇宙』は時代を中世に遡り遠い語り部たちの精神世界を探り当てようとしている。先輩である『内田百閒論』も然り。
川村二郎が2008年に他界して後、こうした人たちの系統は途切れているかのように見える。
ドイツ人の奥深い精神に共感した人々は、再び、同じ沃野を日本に見出すことであろう。