苦節17年。とうとう2万冊のPDFに到達した。
書籍を裁断する派閥に属する自分は、『書物の破壊の歴史』に新たな一頁を追加したわけではないけれど、大いなる蕩尽・無益な破壊・ポトラッチにしこたま時間と金をつぎ込んだわけだ。
西田幾多郎はその最期の講義で、自分の前半生は黒板に向かい、後半生は背にしてきた。いまここに一回転しおわった、と述べた。
まあ、自分の人生は前半戦で書物を収集し、後半戦で解体してきたというわけだ。生産的ではないことは明らかだ。
デジタル化された情報がどこまで生き延びるか、自分は紙媒体よりも短いかもしれないと危惧している。なぜなら、これからは電力事情が劣化するかもしれないからだ。
なんでもかんでも電化しているけれど、電力供給は不安定化するだろうから。
SSDメモリやHDDやブルーレイもそれほど永続性はないのではなかろうか。フロッピやテープなど、これまで多くメディアの消滅を見てきている。読み書きできる装置も量産されなくなるかもしれない。
それでも、しばらくは2万冊のPDFをどこでも読めるという利便性は享受できるだろう。