ブルクハルトの至言がある
新興国であればあるほど、静止していることはできない。
第一にこの国を創立した人たちは急速な前進という癖がついてしまっているため、
また、本来、この人たちは現愛も将来も改革者であるためである。
第二に、この人たちが呼び起こした諸力は、新しい暴力行為を通じてのも発揮されえるからである。
十六世紀の国家を論じたブルクハルトの発言なのだが、20世紀の共産主義国家に奇妙にも当てはまる。
中国人民共和国をみよ。
強力な宿敵であった蔣介石を台湾に追い落とし建国したた後、人民解放軍の向けた刃は朝鮮半島だった。半島人民を不幸のドン底に追いやった朝鮮戦争への介入は、毛沢東の主導で進められた。
その後、ソ連との国境紛争やチベットへの侵入などを起こし、そして文化大革命という惨事を起こすまで、毛沢東とその同調者(紅衛兵は末端組織)の「改革」は驀進した。文化大革命という美称のもとでの暴力は文明国や法治国家にはふさわしくないものだった。
16世紀という意味では、豊臣秀吉の引き起こした文禄慶長の役という無意味で愚かな朝鮮半島への侵略。その事件も当てはまる。むしろ、16世紀での人びとの権力と暴力行動についての言説だったわけだ。それが20世紀の共産主義国家の初期状態に当てはまるのは、どれほど後進的な歴史事象であったかを物語るのではないだろうか?
なお、ブルクハルトの主張は、『イタリアルネサンスの文化』や『世界史的諸考察』には含まれていない。実のところ、E.H.カーの『歴史とは何か』からの孫引きである。
【参考文献】
読むごとに発見があり、時代相が変化しても価値は色あせない。歴史の見方のエッセンスが凝縮されている。