戦後、アメリカ人が撮影した「焼き場に立つ少年」という写真がある。先ごろ来日したローマ教皇も反戦のメッセージの象徴として、世界に問いかけた
『火垂るの墓』の主人公、清太を想いおこさせるではないか。
写真では妹であろう幼女の亡骸をおんぶして、悲しみをこらえながら、(おそらく)直立不動で親族の葬儀を見送る少年のりりしさ、痛々しさが、際立つ。
国境や言葉をこえて、過酷な運命に対する同情を呼び起こす力がある。
他方、『火垂るの墓』では清太があえなく亡くなった妹をみずからの手で納棺し、火葬する。
平和ボケした人々には耐えられないような悲劇的な状況である。
このような兄弟の肖像は、市民を巻き込んむ戦場のなかでは稀ではなかったはずだ。
語られる機会を失ってしまった悲しみを抱きつつ、亡くなった無数の無辜の人びとを20世紀は生み出した。
「竹島」や尖閣諸島の領有権問題ですぐ開戦だ、戦争だと息巻く人々を見るにつけ、こうした伝承が大切であることを思い出そう。